178cm65kg(通常日本サイズM〜L)のモデルがサイズ38を着用しています。【アイテム】G-9と並ぶBARACUTAの定番、G-4です。G9同様、スリムに仕上がっています。リブが無く、袖はボタン留め、脇にアジャスターの付くタイプで、従前より身幅・袖回りをタイトに仕上げているため、全体的に直線的でシャープなシルエットになっています。表地は綿ポリ混紡に変更され、ややしゃり感のある手触りに、裏地にはクールマックスを採用、ボタンもやや大きくなり、リブのテンションもきつすぎないものになっています。もちろん、ドッグイヤーカラーや、アンブレラカット、レッドフレーザーチェックの裏地、ポケットの形状等、長年受け継がれてきた定番の仕様は健在。伝統的なディテールを保ちながらも、モダナイズされ、"今っぽく"着用することのできるオススメの一枚です。☆SIZE 裄丈/脇幅/着丈◆34 86/50/62◆36 88/52/64◆38 90/54/66◆40 92/56/68
●オリジン:イギリス ●原産国:イギリス●素材品質 表:コットン50%/ポリエステル50% 裏地:コットン75%/ポリエステル25%
脇幅cm 50 52 54 56
個体差、計測者の違いによる誤差が生じることがあります。あらかじめご了承ください。
サイズ 34 36 38 40
裄丈cm 86 88 90 92
着丈cm 62 64 66 68
セプティズの玉木店長と知り合ったのは、いまからかれこれ6〜7年前である。ビギンのコヂマ編集長から「いでさんが泣いて喜ぶお店が三軒茶屋にあるんですよ」と紹介されて、別冊のファッションビギンのコラムで綿谷画伯と取材に行ったのが最初である。まだお店が今の場所じゃなくて三軒茶屋の茶沢通り沿いにあった頃で、まるで昔のメンズショップかインポートショップみたいな懐かしい顔つきをしたお店に、アメカジオヤジのハートは、たしかにぃ〜、ワシづかみされたのだった。 そのときに、玉木店長から初のウンチクをえんえんと聞かれたのが、今回のお題である『バラクータ』のG−9である。店内にバラクータのG−9を着たスティーブマックィーンの写真集がまるで撒き餌のごとく飾ってあって、思わずそれを見て「やっぱかっこいいよね〜、マックィーンのバラクータって」とうっかり言っちゃったが最後、玉木店長から「どう昔のバラクータは違ってたか」、「マックィーンが着てるバラクータはどこのやつか?」などなど、狭い店内で3時間近く立ち話で熱く聞かされたのであった。 しかしいま思えば、あの頃はまだいい時代であったなぁ。だってさぁ〜、いまやバラクータのG−9もスリムフィットだとかヴィンテージタイプだとか、ラコステのごとくいろんなサイジングがあってさぁ〜、ゴルフのスィングしたひにゃ、破れちゃうじゃんかい。しかも困ったことに一応どれもMADE IN ENGLANDだからして、こうなるともう、どれを選んでいいんやら、さっぱりワカンネ。玉木店長も「正直ね、もう好みだね」と言うでないか。いやはやバラクータといったら「これだけ!これしかないのっ!」という単純明快だったあの頃が懐かしいったらありゃしない。 さて、そのバラクータG−9といえば、誰もがすぐに思い浮かべるのが件のスティーブマックイーンということにソクなるわけです。今でこそオレも知ったような顔をして「マックイーンといえばバラクータだよね〜」などと言ってるんだけども、じつはカミングアウトしちゃいます。スティーブマックィーンがバラクータを着てたなんてことを知ったのはほんのつい最近なんすよねぇ。初めてバラクータG−9を買った高校生の頃なんて、マックィーンのマも興味なかったずらよ。ゴメンねー、マックイーンがどーのこーのとか、知ったか顔してウンチクを語っちゃったりして。しかしオレと同世代のアメカジオヤジたちの大半は、おそらくそうなんじゃないかと思うのだ。 じゃあワレワレはバラクータのG−9の着こなし方を、誰をお手本にしていたのかというと、それはズバリ、高倉健である。 昔、高倉健が主演で倉本聡が演出の「あにき」っていうTVドラマがあってね、高倉健は例によって無口な男気のある大工か何かの棟梁の役だったんだけど、そのドラマで健さんは毎回いつもバラクータのG−9を色違いで何着も着ていたんだよねぇ〜。ドッグイヤーの襟を上までぴちっと閉めて着る健さんときたひにゃ、そりゃあもうすげぇーシブくって、マックィーンどころじゃなかった。何年かして「あれはラサンスが別注したバラクータだ」なんていうウワサまで流れたりして、とにかく健さんのバラクータG−9の着こなし方はカッコよかったのだ。そういや以前、原宿の「キャシディ」の八木沢さんを取材したときに、やっぱり八木沢さんもオレと同じで「バラクータのG−9って、ぼくらの世代はマックィーンじゃなくて高倉健なんですよね」と言っていましたよ。そうだよねー。 この話を、セプテイズの玉木店長に話したら、なんと衝撃の事実が判明したのである。「あのね、あの頃、健さんにバラクータのG−9を売ってたのって、オレなのよ」と言うではないか!えーっ、それってマジっすか?!すっげーじゃんか、玉木店長! なんでも当時、まだ玉木さんがアメ横の「る〜ふ」で働いていた頃、ちょくちょく高倉健さんのお付きの人がやって来てバラクータのG−9を色違いで何着も買っていったんだそうだ。なんとその時に接客していたのが、若かりし頃の玉木さんなのである。ちなみに、この「る〜ふ」という店はシップスの前身の「ミウラ」のすぐ隣りにあった、今となっては伝説のアメ横のインポートショツプである。当時、「ミウラ」の偉そうにしてるおにいちゃんたちが恐くて、敷居が高くて、なかなか買えなかった服好きの小僧たちは、みんなすぐ隣りの優しい玉木さんがいるほうの「る〜ふ」で、とりあえずラッセルの霜降りTシャツとかを買っていたのだ(シップスの中澤さんなんかもそうだったらしい)。現在の玉木店長の原点みたいなショップなんである。余談だけど、その昔、キャシディの八木沢さんもアメ横の「る〜ふ」の面接を受けたことがあるんだそうだ。でもそのときに面接に来ていたもう1人のほうが受かって、八木沢さんは落ちちゃって、それで原宿のキャシディに就職したんだって。なんとときにその受かったもう1人のほうというのが、誰あろう、現在のセプティズの玉木店長なんである。うーむ、なんか今回はバラクータのG−9の話から日本のインポートショップを支える人たちの裏話みたいになっちゃったが、とにかくその頃からバラクータのG−9はずっと売っていたってことですな。そして昔はバラクータといったら、マックィーンじゃなくて高倉健だったのだ。
「バラクータG−9といったらマックィーンじゃなくて高倉健」